実家のお茶屋の看板を撤去した。自分の店ではないとは言えやはりどこか淋しいものである。東京の古本屋の看板を撤去した時のことを思い出した。あれは正真正銘自分の店だったから淋しさもひとしおであった。時代は流れるね。 (2016年9月22日の日記より)