2025年11月08日(土)
タイヤと酒
なかなかすっきりとは治らない。調べてみたら大半の人は7日間で回復しているらしいので明日かな?明日には完治と行きたい。 調子はイマイチとは言え寝てばかりもいられない。今日はがんばってタイヤ交換をした。いやもうほんといつ雪が降ってもおかしくない寒さになってるから天気のいいうちにやっとかないと後がつらい。ちょっとふらつきながらも無事完了。タイヤにちょっとヒビが認められるんですけど、、まいいか。いいのか? 本日飲酒解禁。5日ぶりに飲んだ。大してうまいとは思わなかったな。やっぱ健康あっての酒だね。明日には完治!
2025年11月07日(金)
あと少し
きょうはもうばっちり治るつもりだったのだがなかなか思うようにはいかんね。まだ8割程度の回復。熱はないもののよくある風邪の症状は継続中。 それでも今日は風呂に入った。月曜日以来だから4日ぶりか?まあたいしたぶりでもないか。学生の頃は週一だったもんな。汚ねっ、いやいやむかしはそんなもんだよ?なにしろバブル全盛期だから。ちょっと言ってる意味わかんないんですけど。 とにかく3日間風呂に入っていなかったので3日間髭も剃っていなかったのだが、髭は3日で2mmほど伸びた。俺ってこんな髭だったのか。つのだ☆ひろじゃん。ほぼ白毛に黒ごま少々。眉毛も白毛が目立つ。顔も真っ白。あの浅黒かったぼくの顔が真っ白ってどんだけ呪われとんねん。体重3kg減。こりゃいいね。明日は治る。
2025年11月06日(木)
鎮痛剤
熱は平熱に戻った。しかし体中の節々が痛い。あと頭痛も少し。これはもう鎮痛剤を飲んで凌ぐしかあるまい。ツルハまで買いに行くついでにちょっとローソンに寄ったら見慣れた薬問屋の車が入ってきた。もしや?と思って運転席を見てみるとやはりやつだった。友人のもと稚内支店長だ。今は再雇用で函館勤務。がんばっちょるの。 「よう!鎮痛剤買いに行こうとしてたんだけど、なんか持ってないの?鎮痛剤」 「おれんとこ問屋だからなー」 「サンプルとかないの?」 「今もうサンプルとかないんだわ」 「したっけ!」 「じゃまた、近いうち」 ちょっとからかっただけ。ツルハでセシオン解熱鎮痛薬ってのを買いました。ツルハとは言え薬売り場にいるのは薬剤師でしょ?なんだか頼りなかったんですけど。 「え?コロナかもしれないんですか?何かその明確な理由でも?」 「身内にコロナがいるもので」 「コロナでしたら病院で診察してもらったほうがいいと思います」 「・・・いやあのー、もう熱は引いたんですけど、体の節々が痛いもんで、鎮痛剤をと思ったんですよね」 「そうですねー、そうなると、こちらかこちらですかね。でも病院で診てもらったほうが」 病院行くならここには来とらんちゅーに。 ま心配してくれてありがとうございます。 ちなみに父の様子は、ちょっと斜め上行く展開となり兄弟ともども困惑しております。差し迫った状況ではないんだけど、おいおい頼むぜって感じ。
2025年11月05日(水)
+コロナ
朝一番で病院へ電話を入れたがなんだかしけた対応。急には入院できない。最短でも明日の午後、それもできるかどうか、ちょっと調整してまたご連絡しますとのこと。まあしょうがないよね。患者はうちだけじゃないんだし。 しばらくして電話あり。理事長先生から入院してもらいなさいとのことなのですぐに来てくださいとのこと。理事長先生は父のかかりつけ医なのでおそらく特別に配慮してくれたのだろう。よかった。あいかわらず私は高熱続きなのでまた妹に連れて行ってもらった。 入院することになって新事実発覚。なんとコロナにも感染していた。無症状のコロナらしい。ってことは?おれのこれも完全にコロナじゃん。きのうからずっと寝てるけどほとんどよくなっていない。これ自然に治るのを待つしかないんだよね?まあぼくは免疫力は高いはずだからすぐ治すさ。姉もコロナの症状ありだって。妹はなぜか異常なし。妹はコロナ全盛のころに罹患しているから抗体を持っているのかもしれないな。
2025年11月04日(火)
食道炎
きのうからのどがちょっとイガイガしていてなんかやな感じだなとは思っていたのだがやはり風邪だった。今日になって熱が出た。38度。まじかー。コロナじゃないの?いずれにしてもこの熱じゃ父の通院に同伴はできない。幸いなことに昨夜のうちに札幌の妹を呼び出しておいたので父の付き添いは妹に頼むことにした。 胃カメラの結果は胃には異常なし。重度の食道炎とのこと。入院を勧められたが断って帰ってきた。しかし家に帰って寝ていてもかなりきつそうで夜になって本人から「やっぱり入院するわ」と言ってきた。じゃあ明日の朝になったら病院に電話するよとなった。
2025年11月03日(月)
体調悪化
きのう姉も川崎へ帰って行って父と二人だけの生活が始まった。と思ったらいきなり容態悪化。ゲーゲー吐いてばかりいる。しかも真っ黒な液体。しばらくソファーに座っていたがうぐっとなったので急いで洗面器を持ってきたらどばどばと大量の液体を吐いた。マジか、やばいじゃん。 聞けば3日ほど前から調子は悪かったらしい。すぐにかかり付けの病院へ電話をしたらすぐにくるようにとのこと。ただ今日は祝日なので当番医しかいないが診てくれるという。血液検査と点滴をして、今日は担当医がいないので明日胃カメラをやるということで帰ってきた。 やはり父の愛妻をなくしたショックは相当なものなのだろう。張りつめていた気も抜けて一気に衰弱したように思える。生前母が「私が逝ったらお父さんもすぐ来るわ。もう目に見えるようやわ」と言っていたが早すぎない?いやまだ大丈夫か。大丈夫であってくれ。
2025年11月02日(日)
故障
あのセラミックファンヒーターがもう壊れた。電源が入らない。毎日20時間くらいつけ続けていたから無理もないか?おそらくヒューズが切れたのだと思うが自分じゃ交換できない。ちょっと開けてみたけど無理。見たところガラス管のヒューズは切れていなかった。ほかの部分のヒューズが切れた可能性が高い。メーカーへ修理に出すほどのものでもない。廃棄かジャンクとして出品か、ってところですな。がんばって出品するか。こんなもん売れるんかね?
2025年11月01日(土)
いくつになっても
今日は高校の還暦同窓会の日だったがもちろん参加できる状況でも心境でもなく欠席。もっともはじめから出席する気はなく出欠票は放置していたのだが、それとは別に開催されるクラスメイトだけでの言わば3次会には当初参加するつもりだった。しかしそれも介護生活が始まったと同時に断りの連絡を入れていた。まさかこんな展開になるとは思っていなかったが断っておいてよかった。「あさむらくんに会えなくてとても残念です。また会える機会があればうれしいです。」なーんてことを言ってくれる女の子もいたりして、俺ってモテモテじゃんって浮かれてます。オンナノコじゃないけど。ままいくつになっても女の子。
2025年10月31日(金)
君に胸キュン
いろいろやることが多くてわたわたわたわた。日記を書いてる暇もない。と言いつつ今書いてます。ぼちぼち遺品整理なんかも始めているけど切ないね。胸がきゅううんってなるよ。
2025年10月30日(木)
黒いしみ
お手入れなしのジャンク品とは言え汚すぎやろ。気持ち悪すぎる。箱の中にはゴキブリのフンがびっちりこびりつていた。黒いしみのようなあれ。北海道には基本ゴキブリはいないからこっちの人はそれがゴキブリのフンの跡だとは気づかない人も多いと思うがぼく東京歴30年だからよーくしっちょります。古本屋時代にはそういうものもたくさん見てきたが久しぶりに見たわ。幸い中身にはフンはほとんどついていなかった。おそらく箱だけ別に保管してたんだろうな。保管と言うか放置。箱は外で潰して捨てました。
2025年10月29日(水)
滞りなく
葬儀は滞りなく終了。涙あり笑いありの我が家らしい葬儀だったと思う。それにしても何から何まであっという間でした。自宅からの出棺の時にはとくに知らせたわけでもないのに近所中の人たちが集まってきて見送ってくれた。母の人望がなせる業であろう。皆様ありがとうございます。
2025年10月28日(火)
ありがとう
人生第4章の介護生活が始まるかと思っていたのだがそれはあっという間に終わった。第3章の一部だった。入院させずに自宅介護の道を選択したのは正解だったと思う。入院させていたならこんな看取りはできなかっただろう。故人もきっと喜んでくれているはずだ。最後に「あう、あう、」と必死に訴えようとしていたのは「ありがとうありがとう」と言っていたんだなと気が付いた。
2025年10月27日(月)
最後の10分
日付が変わって深夜1時30分頃、風呂に入りがてら母の様子を見に行った。寝ているかなと思ったら手が動いたので起きてるのかなと思って声をかけた。「大丈夫か?」「あう、あう、」 しばらく前からうまく言葉を発せないようになっているのだが、ちゃんと聞こえているし頭の中ではちゃんと喋りたいことが整理できている。しかしそれをうまく言葉にできないことを本人ももどかしがっている。 「水飲む?息苦しいのか?」 「あう、あう、」 息苦しそうなので胸をさすりながら声をかけ続けた。「どうや?楽になったか?」「あう、あう、」「大丈夫なんか?先生呼ぶか?」「い、いらんいらん」 先生を呼ぶかと聞いたら呼ばなくてもいいと言いながらもどんどん呼吸が苦しげになってきているのが分かる。「呼ぶよ、先生呼ぶからね」「いらん、あう、あう、」何かを訴えようとしているのだがよくわからない。2階で寝ている妹を起こした。「看護士呼ぶぞ!」 訪問看護の緊急連絡先に電話をした。「すぐ行きます!」妹と二人で母の体をさすりながら励まし続けた。「もうすぐ看護士くるよ。がんばって!」「もう少しもう少し」「お母さん、お母さん」「ありがとう!お母さんありがとう!」呼吸が止まった。 「遅いね、もう一回電話してみる!」最初に電話をしてから10分も経っていないのだが待つ身はつらい。「今着きました!」再度電話をしたと同時にうちの前に車が止まったのが分かった。 きのうの昼に訪問してくれていた看護士がすぐに聴診器で心臓の音を聞いたりまぶたを広げてみたりして様態を確認してくれている。「呼吸停止ですね。先生を呼びます」 看護士到着の1分前に呼吸の停止は自分たちでも分かっていたからやはりそうかと思っただけでとくに動揺はしなかった。先生到着まで1時間ほどかかるらしい。驚いていたのは看護士の方だ。「きのうはちゃんと受け答えもできていたのにね」ただならぬ気配を察した父も2階から降りてきた。高齢の父を動揺させないようあえて最後の時には声をかけなかったのだが、後に虫が知らせたと言っていた。 先生到着を待っている間に看護士はてきぱきと処置してくれていた。一緒に体拭きますか?どうぞ拭いてあげてください。何か着せたい服があれば着替えさせましょうか。パジャマのままというのもあれでしょうし。氷とかアイスノンみたいのあります?一通りの処置が終わって看護士は戻っていった。うちにばかりかかってはいられないのは当然だ。 しばらくして先生が到着。 すぐに診断が下った。 令和7年10月27日午前2時49分。
2025年10月26日(日)
容態
容態にそう大きな変化はない。嫌がる口腔ケア(歯間ブラシ)もやって部屋の電気を暗くした。「ちょこちょこ様子を見にくるからね」「ありがと」
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