2025年11月04日(火)
食道炎
きのうからのどがちょっとイガイガしていてなんかやな感じだなとは思っていたのだがやはり風邪だった。今日になって熱が出た。38度。まじかー。コロナじゃないの?いずれにしてもこの熱じゃ父の通院に同伴はできない。幸いなことに昨夜のうちに札幌の妹を呼び出しておいたので父の付き添いは妹に頼むことにした。 胃カメラの結果は胃には異常なし。重度の食道炎とのこと。入院を勧められたが断って帰ってきた。しかし家に帰って寝ていてもかなりきつそうで夜になって本人から「やっぱり入院するわ」と言ってきた。じゃあ明日の朝になったら病院に電話するよとなった。
2025年11月03日(月)
体調悪化
きのう姉も川崎へ帰って行って父と二人だけの生活が始まった。と思ったらいきなり容態悪化。ゲーゲー吐いてばかりいる。しかも真っ黒な液体。しばらくソファーに座っていたがうぐっとなったので急いで洗面器を持ってきたらどばどばと大量の液体を吐いた。マジか、やばいじゃん。 聞けば3日ほど前から調子は悪かったらしい。すぐにかかり付けの病院へ電話をしたらすぐにくるようにとのこと。ただ今日は祝日なので当番医しかいないが診てくれるという。血液検査と点滴をして、今日は担当医がいないので明日胃カメラをやるということで帰ってきた。 やはり父の愛妻をなくしたショックは相当なものなのだろう。張りつめていた気も抜けて一気に衰弱したように思える。生前母が「私が逝ったらお父さんもすぐ来るわ。もう目に見えるようやわ」と言っていたが早すぎない?いやまだ大丈夫か。大丈夫であってくれ。
2025年11月02日(日)
故障
あのセラミックファンヒーターがもう壊れた。電源が入らない。毎日20時間くらいつけ続けていたから無理もないか?おそらくヒューズが切れたのだと思うが自分じゃ交換できない。ちょっと開けてみたけど無理。見たところガラス管のヒューズは切れていなかった。ほかの部分のヒューズが切れた可能性が高い。メーカーへ修理に出すほどのものでもない。廃棄かジャンクとして出品か、ってところですな。がんばって出品するか。こんなもん売れるんかね?
2025年11月01日(土)
いくつになっても
今日は高校の還暦同窓会の日だったがもちろん参加できる状況でも心境でもなく欠席。もっともはじめから出席する気はなく出欠票は放置していたのだが、それとは別に開催されるクラスメイトだけでの言わば3次会には当初参加するつもりだった。しかしそれも介護生活が始まったと同時に断りの連絡を入れていた。まさかこんな展開になるとは思っていなかったが断っておいてよかった。「あさむらくんに会えなくてとても残念です。また会える機会があればうれしいです。」なーんてことを言ってくれる女の子もいたりして、俺ってモテモテじゃんって浮かれてます。オンナノコじゃないけど。ままいくつになっても女の子。
2025年10月31日(金)
君に胸キュン
いろいろやることが多くてわたわたわたわた。日記を書いてる暇もない。と言いつつ今書いてます。ぼちぼち遺品整理なんかも始めているけど切ないね。胸がきゅううんってなるよ。
2025年10月30日(木)
黒いしみ
お手入れなしのジャンク品とは言え汚すぎやろ。気持ち悪すぎる。箱の中にはゴキブリのフンがびっちりこびりつていた。黒いしみのようなあれ。北海道には基本ゴキブリはいないからこっちの人はそれがゴキブリのフンの跡だとは気づかない人も多いと思うがぼく東京歴30年だからよーくしっちょります。古本屋時代にはそういうものもたくさん見てきたが久しぶりに見たわ。幸い中身にはフンはほとんどついていなかった。おそらく箱だけ別に保管してたんだろうな。保管と言うか放置。箱は外で潰して捨てました。
2025年10月29日(水)
滞りなく
葬儀は滞りなく終了。涙あり笑いありの我が家らしい葬儀だったと思う。それにしても何から何まであっという間でした。自宅からの出棺の時にはとくに知らせたわけでもないのに近所中の人たちが集まってきて見送ってくれた。母の人望がなせる業であろう。皆様ありがとうございます。
2025年10月28日(火)
ありがとう
人生第4章の介護生活が始まるかと思っていたのだがそれはあっという間に終わった。第3章の一部だった。入院させずに自宅介護の道を選択したのは正解だったと思う。入院させていたならこんな看取りはできなかっただろう。故人もきっと喜んでくれているはずだ。最後に「あう、あう、」と必死に訴えようとしていたのは「ありがとうありがとう」と言っていたんだなと気が付いた。
2025年10月27日(月)
最後の10分
日付が変わって深夜1時30分頃、風呂に入りがてら母の様子を見に行った。寝ているかなと思ったら手が動いたので起きてるのかなと思って声をかけた。「大丈夫か?」「あう、あう、」 しばらく前からうまく言葉を発せないようになっているのだが、ちゃんと聞こえているし頭の中ではちゃんと喋りたいことが整理できている。しかしそれをうまく言葉にできないことを本人ももどかしがっている。 「水飲む?息苦しいのか?」 「あう、あう、」 息苦しそうなので胸をさすりながら声をかけ続けた。「どうや?楽になったか?」「あう、あう、」「大丈夫なんか?先生呼ぶか?」「い、いらんいらん」 先生を呼ぶかと聞いたら呼ばなくてもいいと言いながらもどんどん呼吸が苦しげになってきているのが分かる。「呼ぶよ、先生呼ぶからね」「いらん、あう、あう、」何かを訴えようとしているのだがよくわからない。2階で寝ている妹を起こした。「看護士呼ぶぞ!」 訪問看護の緊急連絡先に電話をした。「すぐ行きます!」妹と二人で母の体をさすりながら励まし続けた。「もうすぐ看護士くるよ。がんばって!」「もう少しもう少し」「お母さん、お母さん」「ありがとう!お母さんありがとう!」呼吸が止まった。 「遅いね、もう一回電話してみる!」最初に電話をしてから10分も経っていないのだが待つ身はつらい。「今着きました!」再度電話をしたと同時にうちの前に車が止まったのが分かった。 きのうの昼に訪問してくれていた看護士がすぐに聴診器で心臓の音を聞いたりまぶたを広げてみたりして様態を確認してくれている。「呼吸停止ですね。先生を呼びます」 看護士到着の1分前に呼吸の停止は自分たちでも分かっていたからやはりそうかと思っただけでとくに動揺はしなかった。先生到着まで1時間ほどかかるらしい。驚いていたのは看護士の方だ。「きのうはちゃんと受け答えもできていたのにね」ただならぬ気配を察した父も2階から降りてきた。高齢の父を動揺させないようあえて最後の時には声をかけなかったのだが、後に虫が知らせたと言っていた。 先生到着を待っている間に看護士はてきぱきと処置してくれていた。一緒に体拭きますか?どうぞ拭いてあげてください。何か着せたい服があれば着替えさせましょうか。パジャマのままというのもあれでしょうし。氷とかアイスノンみたいのあります?一通りの処置が終わって看護士は戻っていった。うちにばかりかかってはいられないのは当然だ。 しばらくして先生が到着。 すぐに診断が下った。 令和7年10月27日午前2時49分。
2025年10月26日(日)
容態
容態にそう大きな変化はない。嫌がる口腔ケア(歯間ブラシ)もやって部屋の電気を暗くした。「ちょこちょこ様子を見にくるからね」「ありがと」
2025年10月25日(土)
犬
札幌で暮らす妹は週末にはできるだけ帰ってくるようにするとのことで帰ってきた。犬のモクちゃんも連れて。モクちゃんもさすがにもうすっかり慣れっこになって逃げない。癒し犬。
2025年10月24日(金)
通知
介護生活が始まってカラオケへ行く時間も取りにくくなっているが、のど自慢大会に備えて練習を怠るわけにもいくまい。今日こそはなんとか2時間だけでも歌いに行くか!と思っていたらメール着信。のど自慢出場者選別落選のお知らせ。がっくし。なんだよNHK。もう見ん!って嘘だけど。残念無念。今日の練習は中止です。
2025年10月23日(木)
オープン初日
いつものランニングコースの途中にセブンイレブンが新たにオープンした。ファミリーマートの斜め向かい。なんでやねん。なんでそんなに近くに?ってことはよくあるがセブンとファミマじゃ同じコンビニでもそれぞれ住み分けできているということか?どっちも大して変わらないと思うけど。 それにしてもオープン初日とは言えこんなに混むかね?警備員まで動員して駐車場整理をしていた。コンビニやで?コンビニでもオープン初日は何かおいしいことがあるのか?
2025年10月22日(水)
新生活
振り返ればこの店長日記も早25年。四半世紀ってやつですか?すっごく続いている。まさにわが人生の記録。この間に人生の転機と言えることもあった。東京から函館へ帰ってきたのがそれ。人生第3章。 第1章が少年時代、第2章が東京時代、そして第3章が今の函館時代。第3章が始まって10年目を迎えた今、第4章が始まろうとしている。介護生活。 今月から母を介護する生活が始まった。けっこうハード。ハードだがつらくはない。母親が赤ん坊の面倒を見るときの気持ちがこういうものなのかななどと想像する。大変だけど幸せな気持ち。
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